2008年06月19日

ごぶさた+秋葉原事件追記

今週からちょっと新しい場所での仕事が増えたのもあって、日記ご無沙汰してしまいました。
とはいえ、まだほとんど何も動いていないんですけどね…

サイトは色々更新できてないし、自宅はカヲス…
バトンの回答も滞っててすいません。
そうだイベント申し込みもしなきゃですし、色々いかんです。

それにしても、ハンタがないWJにも慣れてきましたねえ。
いや、逆にハンタがあると毎週やたら気になってそれが辛いというのもあったので(笑)、ある意味平和なのか…

ああ、そういえば、先日この記事で話題にした秋葉原の話についてちょっと続報というか、記録も兼ねて補足。

もともとはフランス現代思想研究者、最近ではすっかりヲタカルチャー批評家として定着した東浩紀が、某新聞で面白いまとめ記事を書いてました。(そろそろリンク切れかも知れません)

「テロ」という表現を用いてますね。ごく大ざっぱにまとめると、加害者側の精神的な「幼稚さ」ゆえにテロの形を取りきらなかったテロである、というような解釈です。

ただ、東氏はやはりかなり慎重な物言いをしているという印象です。
その慎重さにひっかかり、コメントと批判を行っているこちらのブログ記事も大変興味深いです。こちらは例の事件をもっと明確に「テロ」として位置づけるべきだという主張。そして、何かがもう限界まできてるんだよ、ということをもっと真剣に考えろ、という論調です。




まあ、いわゆるテロといっても色々あるわけですが…
個人的な感想としては、今回のは色々な意味でグレーゾーンにあるなという印象です。

テロといったら一番すぐに思い浮かぶのは、昨今だとイスラム原理主義の自爆テロだとかありますよね。で、その場合、一応、背景にはビン・ラディンなど原理主義集団により供給される「大きな物語」があるんですよね。そして、実際にテロを実行する人の心の中には、ごく個人的な体験から来る怒りなり不満なりもあるけれど、それと「大きな物語」を結びつける形で行為が行われる。いやそれどころか、その人個人はそれこそ、貧しくて字もろくに読めなかったりして、日記も手紙も残さず爆弾と共に散るかも知れないんです。だけど、それ系の集会に出ていたとか、日頃の言動なんかで、「ああ、これは自爆テロだ」という解釈が行われる。

対して、秋葉原事件の場合は、その種の「大きな物語」はない。というか、まだ見えてこない。加害者は非常に多くの言葉を残したけれど、それは「私は○○○と思うが故に○○○を欲し、それが全く実現しない社会に対する最後の手段として○○○をしたのだ。」というクリアーなメッセージが読み取れる形にはなっていなかった。だから、「身勝手な犯行」という「個人的な犯罪の物語」にのみ収斂させようとする報道もかなりあった。

今後どうなっていくのかな、と思いますね。
正直、今回の事件はパンドラの箱を開けたんじゃないかなって思ってる。
このご時世だから、「こういう方法があるのか」と思った人は少なくないでしょう。
現にそういう報道も相次いでますし。

なお、秋葉原、秋葉原と繰り返してしまったけど、犯行の場として選ばれたのは偶然ではないかという話も出てきてるみたいですね。ただ、土地勘があったという。
posted by サキオ at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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