2008年10月11日

(3)女性同人にとりわけ強い「恥」の感覚について

前記事「(2)2007年頃から同人市場一般で盛り上がった性表現規制の問題」の続きです。これが一番長いです。


(3)女性同人にとりわけ強い「恥」の感覚について

さて、本題である。正直言ってこの問題はとても書きづらかった。
先にごく個人的な感想を言ってしまうと、一部の日本の女性同人(特にヤヲイ界隈)が自らの創作活動に抱える「恥」の感覚や(性表現問題も含めた)「マナー問題」への敏感さは(1)、(2)の背景を考慮しても不必要に強い印象を受ける。
正直、私自身はこの種の反応が生じた理由が充分にわかってはいない。何故なら自分がそうじゃないからだ。
この現象について、私の側にも幾つか仮説はある。例えば、自分も含め日本の女性は子供の頃から、男性よりも強く「配慮」や「恥の感覚による自己の欲求の抑制」を求められて成長する。それに従わなきゃ愛されませんよ、共同体から排除されますよ、という脅しと共に育つのだ。そういう文化的側面がこの反応の背景にもあるのだろうなどと考えた。
とはいえ、ろくに調査もせずに他者の感情や態度についていい加減な記事を書くのはまずいだろうとも思った。そして考えた末、とりあえず他の方々の事について書くのは諦めた。

そこで、代わりといっては何だが、以下では私自身の立場、つまりどうして私は「恥ずかしくない」のかを書くことにしたい。タイトルと異なる話になってしまい申し訳ないのだが……。(しかも頂いたコメントの答えにもなっていない…ごめんなさい。)


さて、繰り返すように、私自身についていえば二次創作でヤヲイをやることに恥の感覚はあまりない。ただし、だからといっていきなり何も知らない人々の前で「私はヤヲイやっていまーす!見て見てー!!」とやりたいわけではない。例えば私はオフラインでの友人が自分のヤヲイ創作物やエロ系の画像を見ることにある種の「気恥ずかしさ」は覚える。だから大抵は隠していて、発見されることがないようにしている。しかしそれはどちらかというと「自分の親密な領域を見られる」恥ずかしさに近いもので、例えば裸を見られたくないとか、間抜けな顔で笑っているのを見られたくないとか、そういう感覚に近い。あと、後ほど述べるように不必要に「差別」される危険を回避するという側面もある。例えば同性愛者が不当な差別のリスクを回避するため見知らぬ人にむやみやたらと自分の私生活を喋らないように。

私にとって、裸を見られるような「気恥ずかしさ」と「自分のしたことが恥ずかしい」というときの「恥」の概念は明確に異なるものとなっている。この違いは、何故か英語で考えると分かりやすい。前者はembarassmentという言葉で、後者はshameという言葉でほぼ表すことが出来ると思う。すなわち、前者はマヌケぶりを晒したり、きまりが悪い、例えばうっかり社会の窓が開いてました、みたいなときの感覚だ。それに対して後者は「道義的にみてそれは耐え難い。恥だ。」という道徳、正義に関わる側面が入ってくる。例えば、欧米なんかでデモがあると政治家に対して「弱い物をいじめやがって!恥を知れ!」みたいな意味で、"shame"が用いられることがある。

話を戻すと、二次創作をするときに私が感じることがあるとすれば、この二つの「恥」のうち気恥ずかしい感じのembarassmentのみだ。それも理由は上に述べたとおりである。shameは感じない。法的にグレーなことをしているので気をつけねばという自覚はあるが、道義的にまずいことをしているという感覚はあまり無い(そして法と個人が準拠する道徳は必ずしも一致しない)。むしろ、恥云々よりも自分にとっては「表現の自由」という原則の方が大事だと思っていて、とりあえず法的な問題を障害物競走のように上手く回避しつつ楽しく遊ぼうと考えている。

こういう考え方をしているので、まず作者に対しても、「恥ずかしい、悪い」という二次創作を道義的に恥じる感情が自分には生まれることはない。理由は明解で、まず、shameというものは基本的に誰かに被害を与えるようなことを自分がした場合に抱く感情と思っているからだ。こういう状況は、同等レベルの人間同士、もしくは自分がその相手より権力のある状況でないと生じない。そして、作者と自分を比べた場合、明らかに弱者は自分の方。社会的な知名度は象と蟻ほどに違うので、蟻が象の心配をする必要はないと感じる。
なお、ここまで書いてきて気づいたのだが、「作者の方に恥ずかしい」という感情を抱ける方々は基本的に協調性があり心の優しい人々なのだと思う。社会関係、人間関係の捉え方において自分とは異なる発想、文化を感じる。そう言う発言が出る背景には、恐らくは(ごく一部の例外を除き)会うことも見ることもないであろう「作者」なる人をまるで知人や友人のようにリアルに想像し、自分の(二次)創作物の方向性がその人の感情や欲求を傷つけるだろう、という判断を自動的に瞬時に行えるある種の想像力が存在しているからかと思うのだ。作者個人に対する愛や崇拝の念が強いというのもあるかもしれないが、よくわからない。
私はといえば作品や才能には尊敬の念を持つことはあっても、作者殿ご本人についてはただの「知らない人」なので自分と無関係であるとしか考えられず、仮に何か関係があるとすれば消費者と生産者であるという経済関係、そして運が悪ければ訴訟など、著作権など法と権利の問題を通じての関係しかありえないと感じてしまっている。
従ってお金と諸権利でしか媒介されない人間関係の先にいる個人に対してそこまで「配慮」する余裕はないし、むしろ万が一の時のためにこっちが不利になりすぎないように、出来れば法的な保護も欲しいくらいだと思ってしまうのだ。だから先日のような「パロディの保護」という主張にも共鳴する。でもって、方針としてはとりあえず自分の好きなモノを表現して楽しむ。そして周りから何か言われたらその都度配慮し、訴えを聞いた上で考え対処する、それだけだと感じている。
また、二次創作について「人の褌で相撲を取る」ことの恥ずかしさという表現があるが、これも余りよく分からないと感じている。確かに純然たる盗作をしたり、その上で金銭的に収入を得たりするような例に関しては「詐欺」の側面があるで何らかの処置をとる必要があるだろう。しかし、キャラクターの知名度を利用してパロディーを作って遊ぶこと自体は、とても知的かつ創造的な行為であるし、むしろあらゆる表現活動の基本ですらある。ただ、資本主義社会を円滑に動かしていくためのルールは必要なので、著作権概念などを導入しなければならないというだけだ。この辺については既に(1)で引用されてるシンポジウムの議論でも確認されていることなので繰り返さない。

長くなったが、最後に周囲にいる「非ヲタの人々」に対する自分の立場、考察を述べて終わりにしたい。
先にも述べたように裸を見られるのが恥ずかしいように、興味のない人に自分のヤヲイ創作物を見せたいとは思わないが、裸の身体が本来悪い物でも恥じるべき物でもないように、ヤヲイ妄想自体を悪いとは思わない。だが、周囲の中傷と偏見があまりにもものすごいときがあるので、場合によってはお望みのままに「恥ずかしそうなふり」をしたり、黙っていたりする戦略が有効であることはよくわかっているつもりだ。
例えば、批評ブログサイト管理人、のだだ氏がこの記事で述べておられるように、ヤヲイ関係者には「ホモフォビックな反応があまりにも“一般的な常識”“まっとうな倫理”としてまかり通っている上に、なんかよく分からん女性文化への攻撃があるみたいで、外部からの抑圧がどうもフェアじゃない」という状況がある。つまり、ヤヲイ作品には、いわゆる「同性愛的な表現への嫌悪」に加えて、それが男性同性愛者当事者によってではなく女性による表現であることによる「女性文化差別」が重なった攻撃が加えられるという状況がある。いわゆる「ホモきもい」と「お前ら底の浅い表現してるだろ、本当のホモ知らないだろ、そういう浅いことするのは女にありがちだ」という偏見の複合した視点が「普通の人々」を自認する方々(主にノンケ男性)から注がれるのだ。
こういう状況で、とりあえず事を荒立てないために大人しくしてるしかないということはあるだろう。しかし、だからといって、彼らの言う「恥ずかしい奴」という中傷、その価値観を心の中にまで受け入れる必要がどこにあるというのか。特にそれがノンケの人間、何も知らないマジョリティ達の言うことだった場合尚更だ。

(なお、批判をしてくる相手がセクシャルマイノリティの場合、確かに事は少し複雑になる。当事者でない腐女子が歪んだゲイのイメージを普及させているという批判はある程度的を得ていることもあるからだ。しかし、その場合は問題のある部分を指摘して対話すればいいのであって、腐女子が妄想すること、表現すること自体をやめろという権利はない。実際、近年出たユリイカのBLや腐女子特集における幾つかの論文にあったように、良質な議論はその辺を双方が理解した上で行われている。)

ヤヲイの受けているプレッシャーの強さは、百合が置かれている状況と比べてみればよりわかりやすいのではないかと思う。今度は腐女子なだけでなく、バイの端くれとしても発言するが、私自身、百合を読んで「何か違う…」と思うことはあるし、実際そうした意見を表明して批評ブログを行っているビアンの方もおられる。更に男性向けレズビアンAVに至っては、我々の意見などお構いなしだ。しかし、今のところビアンがノンケ女性と協働して巨大掲示板で百合叩きやAV叩き祭りを行ったという例は聞いたことがないし、向こう側が中傷や批判を恐れて表現を自粛したという話も聞かない(そんなことが仮にあったら教えていただきたい)。何が言いたいかといえば、彼らと違って、そのくらい私たち(ノンケ女性とバイ・ビアン女性)は慎ましく大人しく、ずいぶんと親切なのだ。
多少感情的になることをお許し頂けるなら「恥を知れ」という言葉が思い浮かぶのはまさにこのような考えに至ったときだ。恥(shame)を知るべきは私たちではない。それは、当たり前の顔をして、誰の足を踏んでいるのかも知らずに、自分達がやりたい放題やらかしているくせにその自覚もなく、まるで世界の中心にいるような顔をして声高に「恥ずかしい奴め」と人を中傷して何か正義を行った気になっている一部の「普通の」人々ではないか?
彼らの振るまいがあまりにも恥知らずなので、適当にあしらうことは考えるとしても、そんな精神の持ち主に可愛がって欲しいとはまるで思えない。とりあえず障害物競走の障害物くらいに考えて、こちらはやりたいことを自由にやらせていただこうと考えている。

大変長くなったが、あれこれ考えた上で私が辿り着くのは、どういう形であれ、shameとは無縁の境地で表現を楽しみ続けていこうという思いだ。望まれようが望まれまいがそこにいて、とりあえず体力と気力の続く限り、言葉を、絵を、低俗な冗談を、嗤いを、都合のいい夢を垂れ流し続けていきたい。その全てを、私は自由と呼ぶだろう。低俗な冗談は時に押しつけられた秩序を嗤うパワーでもあるし、都合のいい夢は常に、人間の欲望の豊かさと底知れ無さの発見へと開かれているからだ。


…とまあ、そんなふうに思ってる、ということで。おわり。


((1)、(2)、(3)と合わせて合計約7300字…!ちょwこれ何のレポートwww一体何やってるんだろう自分。ていうか誰が読むんですか…)


posted by サキオ at 22:50| Comment(12) | TrackBack(0) | 腐女子・ヲタク論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブラボー
とりあえず読みました報告w
お疲れ様です!

他人の意見を否定する気はないですが、神経質になりすぎなかたや、否定的な人らに読ませたいなwww
Posted by NAOMI at 2008年10月12日 01:13
こんにちは。お世話になっております。長文お疲れ様でした。

私のような お手軽WEB配信 含み表現する側にも 「不特定多数に 性表現を駄々漏れしない」工夫、そして 「羞恥心」って大事だなあと。あらためて強く思いましたね

・・・サキオさんの長文に対してのコメントには短すぎますが’苦笑)

取りあえず「万人、やおい に染まっちゃえばいい!」とばかりの お気楽体質になった同人界の現状が好きじゃないです。
当方、小学生の子供が居ますが クラスじゅうで「BL!! BL!!」などと叫び有ったりしてるとか。 (発信源は我が子ではないです。)それほどカジュアルに言葉が横行しています。
「話の分かる、極一部の間で運が有れば出会って楽しめた」だったからこその良さは世の中のモラルを守っていたと思います。
Posted by エイコンブ at 2008年10月12日 02:25
さすがサキオさん、凄い濃い内容で感銘を受けました!

私は歴だけはやたら長くヤヲイ同人やってるので(すでに人生の半分以上という)、昔と今との「関わる人たち」の感覚の差にはやはり驚きを感じますね。
上でエイコンブ様が仰るように、ヤオイと呼ばれる表現だけでなく、そういう嗜好の人を扱ったものが一般に流通する(オタリーマンややおいちゃんとか)など、発信側と受け手側が非常にカジュアルになってると同時に、外周の方もかなり許容してきている思います。
(この場合の許容とは、「スルー」の意ですが)

物事とその変化は常にいい面と悪い面の両方を有してるので、一概にはいえないですが、今小学生になろうかという姪がもしヤヲイに目覚めることがあれば、自分を棚に上げて複雑な気持ちだと思いますw
いや、姪は近くにいないから私の影響は皆無なんですが、私の姉は一般ピープルなはずですが割とヤオイ要素の強い漫画も平気で読むので、「やはり血というか、DNAなのかも」とかw

あと、一般人に対して後ろ暗いことは「後ろ暗いことだからこそお楽しみとしての純度や濃度が高い」んじゃないだろうか、というのもありますね。
いわば、アメリカ開拓時代に地域社会でヒソカに(何でカタカナ変換ww)息づいてきた秘密結社に近いノリでw
この先ますますそういう嗜好がおおっぴらになっても、バッシングやヘイトで邪魔される危険性は消えないので、個人にとって美味しいところだけを純粋に楽しむために秘密にしておきたい、或いは「判る人だけ判ればいい、判らない奴は入ってこないで」という気持ちもまた残るのかもしれません。
これはいわば、自分の嗜好で差別を受け、かつそれと戦っている方々には、失礼な考えになるのかもしれませんが。

私的には、恥と快楽って表裏一体じゃないかなっていうところがあるので、古い日本人的なセンスが下敷きになってると思いますw
反面、今時のお嬢さん方が描き出されるカジュアルなセンスも羨ましく美味しくいただかせてもらってますので、二度美味しいんですが。

11月にお会いした際に、是非いろいろ語り合わせてください(^^)
Posted by タカノ at 2008年10月12日 14:56
>NAOMIさま
お読みいただきありがとうございますw
なんだかクソ長くてごめんなさい(汗
件の下ネタ漫画といい、連休中は何かが炸裂していたようです…
NAOMIさんのお話も今度是非伺いたいですv
表現、ということにかけては様々な分野ですごく深い経験を持っておられるようですし…!
Posted by 管理人 at 2008年10月13日 21:27
後お二方のコメントは、トピックが重なるところがある(というか議論がつながっている)ように感じたんで、すいませんが一緒に回答させていただきますね。

>エイコンブさま、タカノさま

お二人のコメントで、私の記事に欠けていた次の論点をいい感じに補っていただきました(それは私が前に頂いたコメントで答えられなかったポイントでもあります。)

(1)BLやヤヲイが不必要に子供の世界にまで広がっている現象(エイコンブさん)
(2)ヤヲイの秘密結社的なあり方と、その効用(タカノさん)

(1)が行きすぎた結果、バッシングや批判でBLやヤヲイ自体がそもそも危うくなるのではないか、そのような事態を回避するため(2)が望ましいのではないか、というお話、よくわかります。
とりあえず、エイコンブさんが仰るとおり(1)については適切な年齢制限表記の徹底を行うことが必要ですよね。特にみんながBLと叫ぶって…すごいですねその教室(汗 そりゃ心配になりますよね…。>エイコンブさん

ただ、お二人の話からははっきりしないですが、私の立場から一つ思うのは、あくまでも年齢制限表記は「同性愛だから」じゃなくて「性的な表現だから」であって欲しいなと言うことです。
例えば男子高校生二人が恋人になって手を繋いでる話があったとします。性行為を暗示するような性的な表現がなければ、別に小学生が読んだって…いいんじゃないかなあと私は思うのです。
これは私が「そういう風景が普通に受け入れられる世の中であって欲しい」と願う立場の人間だからです。例えば、まだ第二次性徴が来てない子供が淡い男女の恋愛物語を読むように、BLもしくは百合な初恋物語を小学生が読んで、そういうのもありなんだ、と思ってくれて、現実に周りでそういうことがあっても動じないような感覚が育ってくれればいいなと、つい思ってしまいます。
とはいえ、今のBL、やおい、百合の騒がれ方って、まるでユニコーン扱いというか、現実に存在しない夢のような扱われ方で、それはそれでやや気になるのですが…。この辺、難しいですね。

(2)についてですが、秘密結社的な状態の良さというのは、確かにヤヲイ市場に関してはどちらかというと新参者(といっても4年くらい経ちますが)な私がよくわかっていない感覚なのだと思います。(「ヒソカ」カタカナ変換に笑いましたw>タカノさん)
もちろん。これまで築き上げてきた文化を尊重したい気持ちはありますが…その状態を保つには、マーケットが大きくなりすぎているという印象もあります。商業的に成功してますからね…。BLと二次創作では著作権など、また違う問題があるわけですが。

とりあえず今言えることとしてはこんな感じです。秘密結社的にやりたいという方々をこちらが邪魔することはもちろん考えません。です、同時に、そういう方々に年齢制限以外の問題で、もっと隠せとか表に出るなとかこちらに言って欲しくない…という感情が私の方にはあります。
この辺、うまくお互い住み分けというか、あまり不必要に干渉し合わないで平和に共存できればと思うんですけどね。

恥と快楽というのも面白い論点です。話ずれますけど、誰かがこういうことを言っていたのを思い出しました。「日本人のエロは『恥ずかしいことを共有する快楽』が中心で、西洋人(って大ざっぱな呼び方ですがw)のエロは『罪深い逸脱行為を共有する快楽』が中心だ」と。どのくらい本当かはわからんですが…。

ええと、何かまとまらないのですが、両方とも今後の課題と言うことで考えさせていただければなと思います。
貴重なコメントをどうもありがとうございました!

Posted by 管理人 at 2008年10月13日 21:28
レスありがとうございました。

年令制限の件ですが、私も制限するなら原則は性的なことというくくりであるべきだと思ってます。
基本的に、他者に愛情を感じられるというのは本能の問題であって、何を好ましいと思うかは各個人の裁量問題(嗜好で変わる)だと思うので。
それが好きであるということと、それが嫌い(苦手)であるということは、ベクトルの方向の違いであって位置づけに上下はないはずですし。

ただ、子供というものは余分な下地がないだけに大人より簡単にエスカレートしてしまうので、より濃度の濃く見える要素に流れやすい、というのはあるのだと思います。
あと、子供って生き物的にシモネタ好きですよねw TVカメラに向かってシモネタ一言叫んで爆笑、みたいなw
(教室でBLと叫びあうとかは、この辺の行動かなと…)
これは子供の感性を否定するのではなく、要するに「社会的制約のすり込みがないだけにハメを外してしまいやすい」ということだと思います。

今はむしろ少年誌より少女誌の方がはるかに過激で、大人でも驚くような内容が小学生が読む雑誌で展開しています。
正直、私には少女誌とレディースコミックの差があまりないように見えるくらいです(^^;)
また、レディコミは過激な表紙や内容であるのに、コンビニなどでも大人向けに区分けされていません。区分けされていないので子供に買う意思があれば店側も簡単に売れます。(店側の道徳的良心の問題。売り上げ重視ならスルー?)

このあたりも、男性からバッシングを受ける背景の一つであり、材料にされる理由であるかもしれません。
「自重しろ、できないなら規制しろ」みたいな比較的冷静な意見から「即刻廃刊にしろ」「作者は〇ね」まで幅は広いですし、その立場も取り扱い内容で平等に規制を受けるべきと真剣に考えてる人から八つ当たりやヘイトバッシングまでありますが…
日本の男性は「女性の性欲という現実」を無視/拒否してきた期間が長いので、最近の急激な動きには女性よりも対応できてないというのも状況をこじらせているのでしょうね。

中でもBLは指針がないために適切に取り扱われてるとはいえないと思うので(むしろ異性愛モノよりも良くも悪くも野放し的な面がある)、異性愛と同性愛が愛という本質では同等のものと理解する以前に、BLの方がより愛として至高であるというような、そういう逆説的な混乱をしてしまわないだろうかという懸念ですね。
(私の場合の心配は、ですが)
異性愛であれ同性愛であれ、自然発生的に嗜好が積み重なり本人が自覚するのが理想なんですが。


恥の概念は、私自身、自分でも古いタイプの日本人だなという自覚がありますw
同時にあっけらかんとしたものも好きなんですけど、いざ書こうと思うと色々難しく、反対に言葉攻めとかはノリノリっていうのは、感性の根が「恥と裏表」の方なんだろうなと。
でもあっけらかんと明るく楽しいBLってやっぱりいいなぁと思いますね。抑圧の無い恋愛感情って素直で素敵。
…こう書くと「何でもアリ」で、要するに自分がどんだけ好き者かを力説してる気がします(^^;

すいません、またまとまりなく(くだらないことを)語ってしまいましたw
Posted by タカノ at 2008年10月14日 14:03
サキオさん、どうもはじめまして(かな?)。TBありがとうございました。
サキオさんの考察、非常に興味深く読ませていただきました。というか、最初から最後まで共感したり、正に私の着地点とか考えてるポイントが同じで、何だか無意味に驚いちゃいましたw嬉しかったです。

そして、サキオさんの課題も、私と同じもので、私自身ももどかしい思いです。

>この辺、うまくお互い住み分けというか、あまり不必要に干渉し合わないで平和に共存できればと思うんですけどね。
私の場合、そこでどう済み分けるべきかという問題の前に(と言っても私にも済み分けたい欲求はありますけども)「なぜ秘密結社的なそういう要請がなされるのか、どういう状況が本来的に望ましいと言えるのか」が気になってくるわけで、どうにも彼女彼らの意見との対立をどう消化していけばいいのか、答えに窮しています。

更に言えば、確かに文化表現が何でもありで、無批判であってよいとは思えないけれど、かと言って、何がどういけないかと言う合意形成がないまま抽象的な議論をすることには(いつの間にか予期せずクィアの生存可能性を狭めると言う点においても)リスキーであります。サキオさんは「同性愛表現だから、ではなく、性的表現だから、であって欲しい」と仰っていますが、今回このような注釈が必要となってくる現状が象徴的だと思いました。BLやおいマーケット・表現に対する議論において「確かに無批判に広がるのには問題が・・・」という一見まっとう且つ一般論的な言説でも、どこかしら不当な抑圧(ホモフォビア・腐女子バッシング・ミソジニー・やおいフォビア)を容認してしまうリスクが見え隠れします。そうした中で、問題を文脈ごとに分けて「一体何がどうあるべきなのか」、的確に考えるべきなのでしょう。その上で、「何となくやおい的話題が教室で広まる事や、少女漫画の性表現には抵抗を感じる(恥の感覚?)」をどう評価するかは、かなり慎重になるべきなのでしょう。たとえば少女漫画ひとつとっても、実際の性行為は描かないとしてもコンドームについて標記があるとそれを問題視する人が出てくるかもしれません。が、ここには「寝た子を起こすな」的な問題意識があるかもで、すなわち性教育的問題のレイヤーに突っ込むわけですよね。そこでは「そもそも、子どもがコンドームの情報を受け取る事を私たち社会はどう評価すべきなのか」という問題提起なしには語れません。なのに、もし仮に「少女漫画の性表現は過激!それは何となく恥ずかしいし良くなさそう。だからコンドームいくない」という風潮がおきて、それに対する検証もなしに同調ムードだけが強まるようでは困ります。ここでも、サキオさん仰る恥の感覚の問題があって、この恥というとても「感覚的」なものが、とても政治性を帯びている。そのことに私たちは注意する必要があると私は考えます。その恥はどこから生まれ、何を要請するのか、そしてそれはどう評価されるべきか、とても複雑な問題ですね。

さて、今回「教室でBL!という声が出るほど、この文化が広がりを見せている」ということですが。私はでも、やっぱり「教室でホモ・ゲイ・バイ・レズビアン!という声が出る」というケースと同じに考えてみるのもいいと思うんです。「ホモ」も「BL」も、ひとつの語が意味するものはあまりにも幅広いです。あからさまに性的なものから手をつなぐニュアンスから漫画・小説文化としての色合いから世間話的な色合いまで多種多様な含意を持つ。だからこそ、一概に「教室でBL!ホモ!」という声が出る事をイイ/悪いとは言えない訳ですよね。だから、「ヘテロ(を指すような何か)!」という言葉が容認され、「ホモ!」が抑制される現状に何ら問題がナイ訳じゃないように、「BL!」がダメで他のものだったら良いのか、という相対化する観点でケースバイケースな議論を行えたらイイのかなー?と考えています。

もうこれはひとつひとつのケースを観察する以外に術がないように思います。その「BL」がどの現場でどのようなメッセージとして発せられたかを吟味した上で、現象に対する議論を行うべきかと愚考します。BLが出たという大枠過ぎる視点で語るのには限界がある。
たとえばそれがヘテロセクシズムによる差別的メッセージであったら問題にするべきだろうし、性的話題が許容されない現場でのセクハラ的メッセージであったら問題にすべきでしょう。ただ、教室で聞かれたその言葉が「BLであったから」という理由で何か問題扱いされる事は、さすがにおかしいと思わざるを得ない。そもそもBLって、子どもが受け取ってはいけない情報なのか?という問いがまずあるべきだと私自身は思っています。


ちなみに私は自分のエゴイスティックな政治思想のために子どもにBLばかりを読ませたくないと思っています。私自身、アレを読む事で多大な影響を受けましたが、その影響は(以前自ブログでも書いたように)ストレートなものだったかもしれなくて、リテラシーがないまま受け入れていいものかどうか疑問だからです。しかしそれも性教育的問題として、イデオロギーの介入が問題となります。それに、そういうことを言い出したらどんなテキストならいいのかって話になりますものね。ここらへん私は整理できてないので課題です(ただ、性を隠蔽したり序列化した教育はダメだと思う・・・)。
ただ、恥の感覚を非政治化しないように取り組む事の重要性を、今回感じました。
長くなりましたが、とりあえず感想をコメントさせてもらいました。「shame」と「embarassment」の話、英語できない私にも分かりやすくて面白かったです。ありがとうございました。それでは。

Posted by のだだ at 2008年10月16日 22:33
>タカノさん

コメントレスありがとうございます(´∀`)
この話題、タカノさんも熱いですね…!
(それとお仕事お疲れ様です…m(_)m)

>子供って生き物的にシモネタ好きですよねw

そうですね〜。同時に、その感覚にBLが入ってくるという事実に衝撃を覚えています。子供って本当に敏感なんだと思って。
理由はどうあれ、我々がBLをタブー視している現実を肌で感じとっているわけですから。

>日本の男性は「女性の性欲という現実」を無視/拒否してきた期間が
>長いので、最近の急激な動きには女性よりも対応できてない

確かに少女マンガバッシングにはそういう当惑が透けて見えますよね。
同時に出版社や売り手側も女性の性欲をなめてたというか、「あいつらのやることだからどうせ無害」みたいに野放しにして対応しなかったという側面もあるのかなと思いました。
でもって気づいたら逆上してバッシングに走ってしまったり…

>異性愛と同性愛が愛という本質では同等のものと理解する以前に、
>BLの方がより愛として至高であるというような、そういう逆説的
>な混乱をしてしまわないだろうか

ああ、夢としての同性愛ですね。
その辺は…難しいけど、ちゃんと学校でも性教育で同性愛教えて、と思うのは要求しすぎですかね…?
ごく一部の地域ではそういう取り組みもあると聞いているのですが。

まあ、あと個人的にはBLだけを責められないような気もします。そういう「都合のいい」夢を見たくもなるような現実があるんじゃないかと思うので。
「何が何でも男とつがわなきゃダメ」みたいな押しつけは世間に満ちていて、逆らうと人格否定みたいな目に遭うことがある。しかも結婚したからって女性の場合、簡単にラッキーとはいかず、家制度の桎梏とか先進国でもだいぶ辛い部類に入る孤独な育児(少なくとも父親の育児参加と育児への社会的援助という側面では統計的にそう言う数字出てます…)とかが待ってる…かもしれない。思春期の子供だってそういう暗さを薄々感じてるんじゃないかなと。
なんというか…BLが無責任な夢へと走ってしまうことがあるとしたら、それは今のヘテロ達の鏡像、逆転した自画像なんじゃないかなという気がしてならないのです。

>こう書くと「何でもアリ」で、

その懐の広さ、深さが素敵ですVvv

恥は…そうですねぇ、言葉攻めは私も好きですw特に攻めるのがww
恥ずかしがる人ってエロいですよ…(変態ごめんなさい
ただ、自分の書くモノには割とあっけらかんとした部分もあるかもしれない。ある種の自由さがある分、ちょっと繊細でないというか…。
まあ持ち味と割り切ってますw

どうもお忙しいところありがとうございました〜v
Posted by 管理人 at 2008年10月20日 23:03
>のだださん

どうもこちらでは初めまして。突然のTBにも関わらずお越し頂き恐れ入ります…!そしてコメントどうもありがとうございます。
実はのだださんのブログで何度かコメさせていただいたことがあります(ただし、名前の音を一文字変えていました。紛らわしくて済みません)。
以下、回答というより、のだださんのコメントに触発されて勝手気ままに書いてしまったつぶやきのような内容かも知れませんが…

>どう住み分けるべきかという問題の前に…「なぜ秘密結社的なそういう要請がなされるのか、どういう状況が本来的に望ましいと言えるのか」

大変本質的な問いだと思います。私自身、当初はむしろLGBT界隈をうろうろして、つい数年前に「外から」ヤヲイ二次創作に参入したという感覚が強い人間なのですが、実は当初、いやかなり最近まで「住み分け」には意味が無いとすら考えていました。
それには理由があって、ヤヲイ・BL愛好者のコミュニティを完全にLGBTと重ねて見ていて、クローゼットはいかんだろー、とシンプルに考えていたのです。更に言えば、当時日本にもおらず、事情をよく知らなかったため、ヤヲイコミュニティは「クイア」の延長線上の存在として、将来的にはLGBTと明確に連帯していくんじゃないかなとも思ってました。例えば、海外のLGBTの一部はヲタ、BL・ヤヲイカルチャーと意図的に接合しようとしていたりしますし(私のゲイ、ビアンの友人で日本アニメ好き、yaoi、yuri愛好者は結構居ます)、ビアンでヤヲイ研究をされてる溝口さんのような例もありますし。
しかし、そう簡単にはいかないんだな、というのが四年くらいかけて分かった気がしてます。
この違いが出てくる理由はまだ私にはよく分かりませんが、差別のあり方など文化的な問題に加え、日本のヤヲイ・BL愛好者層が、コミュニティ(というほどまとまっているかは疑問ですが仮にこう呼ばせてください)として巨大すぎた、経済的に強すぎたというのがあるかなと思います。欧米の場合、日本漫画愛好家でかつBLヤヲイってのはマイノリティのマイノリティですし、同時にLGBTコミュニティが日本よりは数段存在感がありますから、前者が後者に寄り添うような雰囲気になりやすいと思うんですよね。仮説ですが…。

とりあえず今のところ日本社会でBL・ヤヲイは明らかにヘテロのものとしてラベリングされていて、その上でLGBT界隈や「普通の人(前提としてノンケ)」と衝突があって、いわば四面楚歌的な状況がある。それを受けて「秘密結社」化の要請があるわけですから(更にはそれをめぐりヤヲイ・BLコミュの中でも分裂が起きるという)、何だかとても複雑な状況です。私もどうすればいいかわかりません…(ああこれを言うためだけに長々と書いてしまったorz)
で、話を戻しますと、当座の対処としては住み分けを考えるしかないんだろうな、と思っているのであのような表現になっています。

コメントが全部投稿できなかったので、次に続きます。
Posted by 管理人 at 2008年10月20日 23:15
先のコメントの続きです。

>この恥というとても「感覚的」なものが、とても政治性を帯びている。
>そのことに私たちは注意する必要があると私は考えます。

私的なことは政治的であり、性的なことも政治的である。必然的に、恥は政治的ですね。
確かに危ういですよねこれは。例えば私は、同性愛コンテンツが軒並みAll about Japanで「21歳以上推奨」扱いであることにショックを受けています(米国版All aboutではそんなことありません)。
自分のセクシュアリティに悩んで自殺を考える高校生だっているのに。ネットでさえそんな扱いじゃどうするんだろうと思った。
恐らくは「同性愛」という概念に対し担当者が感じていたのであろう何となくまずい感じ、知られると恥ずかしそうな感じ、そういったもやもやした印象を一切自己分析の対象とせず、その政治性に無自覚なまま、感覚の赴くまま分類してしまった結果じゃないかなと思えてなりませんが……真相はわかりません。
実はAll about Japanには一度問い合わせメールを送りました。何故同性愛を成人向けコンテンツにしたのか、いかなる方針があったのか教えて欲しいと書きました。一応は社内で議論くらいしたかなと思ったんですね。
だけど、答えはどうも当を得なくて、確かに成人カテゴリにすることになってますね、みたいなことが繰り返されただけでした。私の書き方の問題もあったでしょうが、そもそも担当者は私が何を問題にしているのかわからなかったようです。そして私にとっては、その人の当惑こそが一番の雄弁な回答でした。

>そもそもBLって、子どもが受け取ってはいけない情報なのか?

上で挙げたAll about Japanの話と重なる論点だと思うんですが、恐らく、同性愛が大手サイトで21禁にされるくらいですから、教室で子供がBLと叫ぶこと自体を、もうそれだけで反射的に不吉と取る感性が満ちていても不思議はないと思います。そして子供はかなりはっきりとそれを読んだ上で「BL!」と叫ぶのでしょう。彼らはその辺敏感ですから。

せめて冷静に、「君、今どういう意味でBLって叫んだの?」と聞き返せる落ちついた大人なり教師なりがいたらいいんですが。例えば道徳の授業(って今ありますよね?)で「BLって結局何なんだ」を話し合うなんてことが出来るくらいの雰囲気があればいいなあと個人的には思います。現状では難しいのかも知れませんが。
同性愛についてはそういう話し合いとか性教育の一環でやってるところもあるって聞きました。もちろん、授業で扱ったからってすぐに解決につながるとは思ってませんが、大人の立場から出来る数少ない歩み寄りというか、だめもとで誠実な応答を試みるとしたらこの辺が落としどころかと。ぶっちゃけ、どこか小中学校で自分を「ゲスト」に呼んでくれる人がいたら、行ってもいいかもしれない(ただ、自分の場合はBLとLGBTを混ぜた答え方しか出来ないんで、そこが多分ヘテロのBL愛好者の方からみたら問題になると思いますが)。
…ああ、でも、こういうのやったら「寝た子を起こすな」的バッシングが来る可能性もあるから難しいですね。

>その影響は(以前自ブログでも書いたように)ストレートなものだった
>かもしれなくて、リテラシーがないまま受け入れていいものかどうか疑
>問だからです。

そのお話は以前興味深く拝読しました。
実は私は十代の頃いわゆるヤヲイ本をあまり多く読んでおらず、ごく一部の作品を、24年組とか、ゲイ・ビアン小説などの影響といっしょくたに受容してしまってるので、青少年へのリアルな影響を想像できない立場にいるのが残念です。
確かにリテラシーは必要かも知れませんね。その場合、現実社会と同性愛の問題、暴力表現とのつきあい方、性病の問題とかあたりが求められるリテラシーとなるのでしょうか。

色々と考える機会をどうもありがとうございました。
「恥の非政治化」とキーワード化していただけたのもありがたかったです!問題の所在が一層明らかになった気がしました。
それでは。
Posted by 管理人 at 2008年10月20日 23:15
しつこくてすいませんが、2つ補足を。

まず、学校でも性教育で同性愛を教えるというのは重要だと思います。
私には、ヘイトやバッシングの根は無知にあると思えますし。
嫌いだとか苦手だとかは、残念ながら言葉ではすぐにコントロールできない部分ではあるので、少なくとも思春期ごろには、互いの尊厳を守りつつスルーしあう程度の社会性はありたいものですね。

2つめですが。
性的にはヘテロであれ何であれ、「結婚をしない」という選択だけでコミュニティから疎外されやすい/疎外しようとする社会、というのは日々感じてます。
非生産的だという非難なのか、結婚しない=できない=体か心か精神に何か足りないところでも?のような、ある意味かなりえげつないこともよく言われたりしますねw
(初対面の壮年の男性に顕著ですが、壮年の女性でもあまり差はないかも)

個人的にはただもう、これ以上社会的に束縛されるのはカンベン!って感じなんですけど。

選択肢が沢山あり、それぞれを互いに尊重できるのが理想なんですがね。
Posted by タカノ at 2008年10月22日 01:42
タカノさま

レス遅くなってスイマセンm(_)m
補足ありがとうございます…!

>性教育で同性愛
ああ、はっきりそう言っていただけると何か嬉しいです。
そうですね、やっぱ知る機会ってある方がいい。

>「結婚をしない」という選択だけで

確かにえげつないこと言う人はいますよね。
昔に比べると大分いいみたいですが、それでも。

あと、これはある程度は仕方ないことなのですが、「自分の生き方を否定するな」みたいな感情からそういう態度を取られる方もおられんですよね…。
こちらにそのつもりは全然無いのに。
Posted by 管理人 at 2008年10月30日 01:06
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/107943241

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。