2009年02月01日

やおいはドリーム、とはいいきれないような

また夜中にふと考え事…。

やおいの本質は夢、乙女のドリーム、という議論をみかけることがあります。
そのたびに、それは多分重要な部分なんだろうけど、それだけではないよな、という気持ちになる自分がいます。そう感じるのは、私自身が惹かれたヤオイ系二次創作の多くが、どちらかというと「痛い」系のものだったからでしょう。(商業BLは余りよく知らないんでちょっと今回は保留します。)
少なくとも、今までの所、目を輝かせて「こういう恋愛したい」とか簡単に言い切れないような、わりと苦しい感じのものを好む傾向があったと思います。

例えばこう…やたら自虐的な受の主人公が出てきたりとか、愛と憎悪の板挟みで苦しむとか、昨日寝た相手が敵になる苦しさだとか(笑)。
現実にそのまま起こるとは言いきれないまでも、どっか身に覚えがないわけでもない苦しさ、痛さみたいなものが前面に出てるのに惹かれやすいんですよね。少なくとも自分は。

もちろん、現実社会に「敵キャラ」なんていません。
では「身に覚えがある」というのはどういうことかというと、例えば同じ業種で潜在的にライバルであるような相手と付き合ってるとか、セフレであるとかいうことありますよね。その場合、ごく経度とはいえ、やはり「敵と寝てる」ような感じだったりするわけですよ。もしくは端的に言えば競争相手。だから、気を抜いたら出し抜かれるんだよなあ、みたいな緊張感が常に関係の間に横たわっている。

でもって、既存の少女マンガ、女性漫画って、こういう感情をリアルに扱ってくれるものがまだ少ないという印象です。最近少し変わりつつあるとはいえ…。
あったとしても、何か無理にでも最後は円満ハッピーエンドに持って行かれちゃう率高いなあという印象なんですよ。仕事も恋愛も、的な。
だけどそうじゃなくて「あああやっちゃったけど、やっぱり敵だったんだなあ。してやられた。この現状、もうどうしようもないw」という話を……読みたいと思うときがあるんです。それも相手を倒しちゃったり、もしくはまともに打ちのめされて、その後、無理にでも強がって体制立て直すみたいな話ならなお読んでみたい。
ヤオイ二次はその辺、なかなか豊作だなという印象です。

例えば…
やっぱそれぞれの道を行こうか、といって別れた。一年後、偶然再会してちょっとHして、でも好きは好きだなあ、まあでもやっぱ一緒にはいられないよな。あ、もう行かなきゃ、じゃあね(と強がって去る)!みたいな(←うっかり一人で妄想スイッチオン…)

…こういう、ある意味妙にリアルな何気ないやり取りをあっさりネタにしてくれるなあ、という感じです。やおい二次創作って。

あとやおいで自分がすごく親しみを感じたのは、複数プレイや愛のないエッチも含め、様々な「ご乱行」が割と頻繁に出てくるところかな。
もちろん一棒一穴主義の話で素敵なのもありますが、私はやっぱ、どっか荒れてるとか、乱れてるのが好きで。
女性が出てくるエロ漫画でそういうのもありますけど、ごく僅かな例外を除き、その場合の女性キャラって、無理してでもモノを考えないみたいなキャラで描かれてたりして、何か感情移入しづらいことが多いような気がする。


とまあ、とりとめもなく書いたけど、要は自分の場合、割と生々しいものをやおいに求めているし、また、そういう感情を自分の作品にも結構投影しちゃっているかも知れないと思うんです。

この辺の「生々しさ」には、いわゆる倒錯とか、既存のジェンダー役割の越境に近い性体験とかが含まれます。で、この全て、自分も含めその辺の女の子がやってて体験してるようなことだったりするわけです。もしくは、本人がやってなくても、隣の家のおばさんはやってるかもしんないし、要は世の中にはありふれている。
少なくとも自分はそれなりに若い頃やらかしてました。まあ、ちゃちいレベルでだけど。

だけどそれをストレートに「ある女性の話」としてさらっと語れる雰囲気が世の中にないもんだから、なんとなく「やおい」という枠の中で、男性キャラクター(例えば「受」の男の子など)に投影されて語られているという側面はあるんじゃないかと思う。

つまりやおいは、既存の女性性の枠にはまりきらない、女性(と呼ばれている人たち)自身の体験や、そこからくる様々な想い、痛みなどを、オブラートに包んで物語化する機会にもなっている。…そんな気がするんですね。

そして私が敏感に反応し、惹かれるのは、とりわけ、やおいのそういう要素なんだと思うのです。




posted by サキオ at 03:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 腐女子・ヲタク論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>でもって、既存の少女マンガ、女性漫画って、こういう感情をリアルに扱ってくれるものがまだ少ないという印象です。最近少し変わりつつあるとはいえ…。
あ〜、確かに少女漫画とか女性向の漫画って広義の「バディもの」とか書くの苦手かも、
というかむしろ少年漫画(青年漫画はどうだろう……)の得意分野のような気がする。
ジャンプとか、特に対立するライバル同士なんだけど心の底では認め合うとか、
元ライバルが戦友になりますとかそういうネタが好きそう。
それに、中村うさぎが「パワーゲーム」好きな女は女社会で嫌われると言ってましたね。
仮説段階ですが、そういうことも関係してくるのかもしれないと私は思ってます。
百合はどうなんでしょうかね。

>女性が出てくるエロ漫画でそういうのもありますけど、ごく僅かな例外を除き、その場合の女性キャラって、無理してでもモノを考えないみたいなキャラで描かれてたりして、何か感情移入しづらいことが多いような気がする。
私は女性キャラの「ご乱行」とか「その場の勢い」の場合、セーフセックスという言葉が頭をちらついて、
まずありえん!って思っちゃいますね。
ていうかそういうリスクの高いセックスをほいほいしちゃう女って何者? 無知でなかったら頭カラッポなの?みたいな
(もちろん、男性には男性なりのリスクがあるのは承知しておりますが……)。
せいぜい納得できるのは、「働きマン」に出てくる女医さんみたいにステディな相手を増やす、
とか管理の行き届いたところで働いてる娼婦とか、リスクマネジメントが行き届いてるケースくらいですかねえ。

>そして私が敏感に反応し、惹かれるのは、とりわけ、やおいのそういう要素なんだと思うのです。
一部で「ゲイ差別的」みたいに批判される現代日本のヘテロセクシュアルなロマンチック・ラブイデオロギーを称揚したり賛美したりする作品に魅かれる人がいる一方で、
自分なんかはそこからはみ出る要素を求めてやおいに魅かれてるので、こういうお言葉には勝手に強く頷かせていただきます。
Posted by ゆんゆん at 2009年02月01日 16:34
レス少し遅れてスイマセン〜
そして濃密なコメントありがとうございますww

>広義の「バディもの」
あ、なるほど。こういうまとめ方があるんですねw
ライバルとか戦友とかってキーワードは、そういやよしながふみも「何故やおいが好きなのか」みたいな対談で使ってましたね。でもって、のだめとかガラスの仮面が割と珍しく「戦友」モノに近いテーストがある云々。
ただ、今考えたんですが、ふと、のだめレベルでは多分、やおいラバーとしては「競争」成分弱いって感じるかもって気がしてきました。
少年漫画の競争モノはもっとロコツに「序列」を意識した戦いがあって、容赦ないんですよね。トップはトップで、セカンドはセカンド、みたいな。
究極には勝敗で測りきれない芸術のようなものと、少年漫画に多いガチンコの肉弾戦の違いもあるんでしょうが。
でも、男性社会の文化って、競争のないところにも競争を作って興じるような所がありますからね。序列大好き。その病的な部分(と敢えていっちゃう)に毒されて、もしくは関わらざるを得なくて取り込まれてるようなメンタリティの人が、やおいにも魅力を感じちゃうのかなw
いや、あくまでも仮説ですが。
中村うさぎさんの話はよく知らないんで、今度読んでみたいです。

>まずありえん!って思っちゃいますね
とはいえ、一言に「ご乱行」といっても幅広いというか、リスクの程度は割と様々なので…。
例えば出会い系で遊ぶとか、複数プレイとか。あとは私的売春(円光なども含む)。
出会い系も、最近はエイズのおかげでむしろすっごいあそんでる男性ほど避妊具とかは使いますんで、割とセーフだったりすると思いますよ。もちろん人は選んだ方がいいだろうけど(つまりナンパ師ほどセーフの確率大)。
あとそれと別に、ある種の自傷行為的な形でリスクの大きいセックスをするってのは、割とありますよね。実際、円光大流行の時にその辺は割とクローズアップされて、女性主人公でも漫画や物語になってると思うんですよ。最近だと携帯小説に割と出てくる気がします(しかし大抵の作品が最後は一対一の純愛にいっちゃうんですが)。

ただ、自傷行為的セックスを扱う場合、女性主人公と少年主人公でやおい系の場合、ナラティヴの戦略がどうも違ってくる傾向があるなって気がしてるんです。
例えば、少年受が私的売春を行うような設定の場合、自意識が割と言語化された形で提示される例が多いんですよ。例えば、「僕はこういう理由で身体を売ることにした。それは…」「無意味だと思うんだけどやめられない。夜によく一人で理由を分析する」とかナレーションが入ったりする。
だけど主人公が女性の場合あまりそうはならなくて、むしろ、「何も考えてない。頭空っぽだから。楽しければいい」とか、「よくわからない。毎日が過ぎていくのにただ委ねてる」みたいなナレーションをとりあえずかぶせて、でも実はすごくどこか痛いし、何か抱えてるっていうのを示唆するような表現が多かった気がする。
(実際、宮台が調査したとき、そういう語りをする子が多かったんですよ。確か。で、十年経ってみて、あ、メンタルに色々あったのね、抱えてたのねっていう結論に至るという。)
自己分析と、自己韜晦と、両方とも実は、無意識に自分を騙してたり、何かから目を背けている点では変わらないんだけど、少年と少女ではその「自分の騙し方」に違うシナリオが割り当てられるんですよ。
つまり、同じ事をしてても、少年は言語で意志を表現する主体であり続けるけど、少女はブラックボックス化されたり、もしくは、少女自身が主体として自己を描写することをわざと避けている(辛いから)という形を取る作品が多いように見えたんです。
でも、自分の感覚としてわかりやすいのは、やっぱ、主体の語りが強くて、自分で意志決定している(もしくはそう思いこんでいる)主人公なんですよ。そう言う主人公が、受け役割で何だか痛い思いをして、でも強がってみたり、振り回されたりするのを見たい。
だけど少女って、そういう役回りでセックスすることが少ないんですよね。「私解らない。もうどうでもいい。」とかいいながらやっちゃう。
でも自分は「解ってる。全部自分で決めたこと。でも痛ぇ。」というような主人公が出てくる話の方が見たいんですよw
そっちの方が何か身近だから。
…んまあ、自分の勝手な趣味ってだけなんですけどね。

>こういうお言葉には勝手に強く頷かせていただきます。
わ、嬉しいですw
Posted by 管理人 at 2009年02月04日 00:59
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