2008年02月11日

何を欲望するか

腐女子だ、BLだ、百合だ、ビアンだ、ゲイだ、バイだと見たり触れたりしていると時々考えてしまいます。
以下、ちょっと電波が出るので続きは隠します。



BLで時々「ホモフォビア(同性愛嫌悪)だ」と批判される台詞の典型的なのに「俺は男は別に好きじゃないけどお前は好きなんだ」というのがあります。

確かにこの台詞、「男が男を好きになるのはおかしなことだ」という感覚を前提にしてて、別に特定の個人に関わらない「男一般を好きな男」を否定しているように響きます。それどころか、「普通なら気持ち悪くて愛せない同性」なのに「愛」ゆえに、同性であるという障壁を乗り越えて特定の個人を愛するという「ドラマチック」な状況を作るために同性愛を利用しているところがなきにしもあらず……かもしれない。
まあ、この議論はもうすごく詳しくやってる方がおられるんで、ここでは深入りしないことにします。

ただ、思ったことがあります。
この「俺は男は別に…」発言の微妙さは否定できないにしても、一方で、この台詞は男性、女性のそれぞれのヘテロセクシュアリティのあり方を考察するのにあたりとても興味深いモノなのではないかと。

実感としてはよくわからないので推測でモノを言いますが、私の周りにいるノンケの(腐もそうでないひとも含め)女性達を見る限り、例えハッタリであっても「男なら原則誰でもOK」と宣言できる人って結構少ない気がします。いても「猛者」扱いだと思うんですよね。実際、ちょっと前に南 智子さんという方が著書で言っておられたんですが、「男のリアルな裸を妄想して興奮したり、胸毛やチ○ポの映像でオナニー出来る自分は異端児だった」という。
恐らく、ヘテロセクシュアルとして生きている女性の多くにとって「男なら誰でもいい」という発想は非常に薄い。実際の危険とかそういう次元でなく、妄想のレベルでも「男の裸が乱舞する宇宙でエクスタシー」みたいなことをあまり考えないのではないか。
それどころか、彼女達は大抵の好きでもない男はむしろ同性である女性よりも「気持ち悪い」と思っていたりする。そして、人によっては「Hしたいのは一番好きな人だけ」「好きじゃない人とは出来ない」と言ったりするし、女性がそういう態度を取ることが社会の中で支持されもする(んですよね?)。
ところで、よくよく考えてみるとこれって「男一般は別に好きじゃないけど、あなたは好き」という意味ですよね?つまり、実は例の悪名高い古典的BL台詞は、単に潜在的な同性愛嫌悪の反映であるだけではなく、ノンケ女性の多くが社会により推奨され、内面化していたセクシュアリティのあり方が現れてしまったものでもあるのではないか?
そしてこの態度は、とりあえず「男だから(不特定多数の)女の子の裸大好き!」という態度を(例え実際にはそうでなくても)取ることが推奨される男性のセクシュアリティのあり方とは非対称的で、大変異なっているわけですね。

つまり…同じヘテロセクシュアル、ノンケといっても、女性のそれと男性のそれはすごく違うものとして社会の中で構築されてきた。そのことを古典的な形式のBLほどはっきりと物語ってくれる…気がする。
「男性的なヘテロセクシュアル」の望ましいあり方として想定されるのは、「類としての不特定多数の女性に対する肉体的な欲望」を重要な前提として、そこに「個人の好み」を付け加えていって誰かを選ぶっていう形です。そしてこの肉体的な欲望が薄い男性は「男性的でない」と言われたりする。そのくらい肉欲がクローズアップされています。
対して、「女性的なヘテロセクシュアル」はそのような「類としての男性」への欲望をさほど求められない。むしろ、求められるのは「一人の人から愛され、承認を得たいと求める心」です。んで、実に複雑なことに、類としての男性への欲望は「一人の特定の個人」に向けてだけ開花するような状況が推奨される、という。

えーと、まあ、そんなことを思ったわけです。
でも時代と共にセクシュアリティのあり方は移り変わるので、きっとこれからもどんどん変わっていくのでしょう。
雑なまとめですが…



なお、ついでに自分の場合を書いておくと、私はバイとは言っていますが、「男一般」「女一般」が好きなわけではありません。かといって、誰か一人の特別な人が…の感覚も薄いです。
私は、自分の手前勝手な好みの基準を満たしたごく一部の人間(複数)に大変惹かれるし、欲望します。要は、女性の一部と男性の一部が好き。
そして私のユートピアは性的な面も含めて気の合う複数の人たちとゆるーくつながって、お互いに嫉妬したりもせずに適当に好きなことやってるような状況ですw
要はポリガミーとか、人によってはポリアモリーといわれる振る舞い。

例えば自分とつながってる人の他の人との関係を嫉妬したりとかは普通にあるんですけど、複数への愛情(浮気、とも言いますね)を我慢せずに嫉妬を我慢する(=ポリガミー)のと、複数への愛情を我慢して嫉妬を我慢しない(=モノガミー、つまり一夫一妻制)のとだったら、自分の性格と人生には前者の方が向いている気がするんです。愛と性において我慢したいポイントが人とちょっとずれてる。

ただ、ポリガミー云々って、同性愛、バイ云々よりも人に説明しづらいことであったりするんですが。

なんかなにげにかなりぶっちゃけたw

ごめんなさい。
夜中に息抜きで変な文章書くからこうなる。
posted by サキオ at 03:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 萌え・セクシュアリティ関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すみません食いつかずにはいられませんでした(笑)。

サキオさんのこの論述は、私の「同性が同性を好きになる感覚を実感した事ないから、自分はやおい思考になかなか至らない」の根本問題を明らかにした気がします!なるほど〜なるほど〜!!
的確ですね。頭すっきりさせてもらった感じ。

今の女性向同人は深化して、男性的性欲(端的に言えば総攻や総受)とも受け取れるBLもありますが、やはり基本・主流は1対1だと私は思っています。特に若年層に支持されるのは、後者の方だとも思いますし。

そこで件の「男は別に好きではないが・・・」の精神。確かに同性愛嫌悪からも由来するだろうと思いますが、それ以上にサキオさんが言及した「あなた以外ではダメなのだ」の方が大きく由来するのではないかと私は考えています。

そしてそれは彼女達の、「生涯ただ一人の伴侶を得たい」、つまり「道徳的な家庭を築きたい」という願望に繋がるのではと。また、この「伴侶を得たい」という思考は、異性を対照にしてはたらくモノあり、彼女達自身は同性を愛する事を想定してはいないのでしょう。

自身の恋愛では異性愛を尊重しながら、何故同人では同性愛にのめりこむのか。本来女性である受け手をわざわざ男性に置き換えなければならないのか。これについて諸説ありますが、自論としては、
自身が持つ"女"性をリアルに感じたくない。
ですね
やはり秘匿こそ女性の美徳という意識で、性欲を公開できるのは男性だからこその役目である、と無意識に思っているのではないでしょうかね〜。

そしてその自身の持つ性を感じたくない=認められないのは、どこか自己否定も混じっているんではなかろうかとも思うのですよ・・・私、「同人をする」って突き詰めれば自己修復の一端なんだと思うんですよね。特に1対1の関係で恋愛を綴る子達は、何かしら心の傷を抱えていて、誰かに一心不乱に愛して欲しいという投影から、同人という形に現れるんじゃないかと思うのです。
いや自分自身そうでしたし(苦笑)。

だから「異性愛主義でありながら、いわば"かりそめの同性愛"を求めてしまう」理由を大儀に預けるのではなく、個人レベルで見つめ、各々が解答を導き出す事で自分を確立する事こそ、世間に同人が存在し得る重要な位置ではないかと私は本当に思うのです。
相変わらず途中で論点ずれましたね(笑)。

あと、
>愛と性において我慢したいポイントが人とちょっとずれてる。
私も恐らくポイントちょっとずれていますね(笑)。愛と性に限らず、そもそもの我慢ポイントがあまり存在しない・・・
Posted by 瀬川 at 2008年02月11日 16:01
食いついていただいて嬉しいです^^
濃いトークをありがとうございます…!
そしてなるほど…女性の感覚について、私のすっきりしない文章をきれいにまとめていただいたなという感じです。

>やはり基本・主流は1対1だと私は思っています

そうですね、前にコメントでいただいてなるほどと思ったのですが、「ああ〜運命の一対一なのね」という感じの組み合わせは若い方のやおい同人を読むと特に多い印象です。特に「アイドル王子様的なサブキャラ攻と主人公受」みたいな図式のものに典型的かなという印象で(数えた訳じゃないですが)w

ですがその一方で、面白いことに、やおいは私みたいな外道ポリガミスト(やおいでこの言葉使う人ってどのくらいいるんだろう…)にも割と親しみやすい要素があったりします。
というのも、いわゆる「○○前提、○×○」というやつが割とよくあるというか、大手を振ってまかり通る世界なんですよね…。つまり、割とハードな三角関係を楽しむという(いや、苦しんでるのかな?)パターンが男女モノよりも頻繁にある…気がする。カヲルとかキルアとか、トラウマ系受が出てくる組み合わせだと特に…。
だから、やおいって懐が広いぜ!というのが私の率直な感想です(笑

>自身が持つ"女"性をリアルに感じたくない。

この辺は、皆さんどういう感じなんでしょうね。同人のような自己表現がある種のヒーリングであるという可能性は私も考えていたのですが、「"女"性への抵抗感」という面では、瀬川さんは同人とはいえ男女カプですから、また少し違うのかなと考えていたのですが…
私の場合、やおいとして表したいのは「男性を受にしたい」という感覚と同時に、「女性を受でガンガンやりすぎると何だか仲間や自分を蹂躙してるような気分になってくる」という感覚があったりもするようです…。でも、人が作ってくれたコンテンツで、女性が受になってやられてるのは……結構好きで、クるんですよね…(汗
それも同じ女性が作ってると思うと、罪悪感なしにすっと入れます。

ああ、あと、自分の身体がやっぱり男性のそれよりはちょっと脆いな、という感覚は持っていて、それが歯がゆいというのもあるかもしれません。これは明らかに一種の自己否定ですね…

でも、こういう攻な感覚からやおいに入る系統とは別に、もっと本当に「女の身体はいやだ」とか、何か恥ずかしい、というような気持ちがある方もおられるかもしれませんね…。または、若くて美しいが故に欲望されることに疲れていたり、セックス自体に「どうして愛のためにこんなことしなきゃならないんだろう」と思っている場合もあるかもしれませんし。
昔、周りにそういう女友達がいたので、そこからの想像ですが。

>そもそもの我慢ポイントがあまり存在しない・・・

さすが瀬川さん…!





Posted by 管理人 at 2008年02月15日 01:59
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